米屋ながはらの歴史
老舗米屋の信頼を守り、温故知新に進む
1890年に創業した米屋ながはら。
5代続いてきたお客様からの信頼をこわさぬよう、
米屋ながはらを通じて喜んでくれる方が一人でも増えるよう、 誠意を持ってお米屋を営んでいます。
全国北は北海道から南は鹿児島まで、
お米で旅をできるように常時約60種類のお米を取り揃えています。
五ツ星お米マイスターProf.の店主が厳選した、大型店では取り扱われない、
安心・安全で本当に美味しい品種のみの取り扱いです。
全国の農家さんの想いを皆様の食卓へ届けるため、 美味しいお米を知ってもらうため、
老舗米屋の経験と技術を活かした、時代に合った米屋を目指しています。
初代 仲次郎
1890年(明治23年)、仲次郎が宮脇町にて創業。
食品の卸をメインに、高松のお米を寿司米用として大阪へ出荷。
大阪では寿司に適したお米が少なく、当時高松に多かった少し硬めのお米が寿司米用として求められた。
二代目 シゲノ・秀一
神戸の米屋で働いた秀一が、のちに塩上町にて夫婦で米屋の卸を始める。
地域に密着した米屋で、主にシゲノが店をまわし、守る、パワフルな女性であった。
三代目 三希枝・登喜士
戦争が始まり、配給制になったことで米屋ができなくなり、登喜士が県庁に勤める。
1950年、二代目シゲノと共に必死で米穀配給通帳を集め、米屋の小売店を開く。
永原食糧販売所として米、麦、雑穀などを主に一般家庭に向け店舗販売・配達。
1966年、昭和天皇・皇后両陛下が五色台に宿泊された折、お米を納める。
家族全員で一粒一粒目視選別し、色形の不揃いなものがないか確認する。
県庁勤めの登喜士に代わり、三希枝がお店を切り盛りする、二代目同様パワフルな女性であった。
*米穀配給通帳: 1942年4月1日から、日本において食糧管理制度の下で米の配給を受けるために発行されていた通帳。 1981年6月11日の食糧管理法の改正により廃止された。
四代目 正隆・豊子
正隆が車での配達を始め、販路を拡大、業務用の需要も増える。
それまで白米を仕入れて販売していたが、より美味しいお米を食べてほしい、という気持ちが強くなる。
1992年、鮮度の高いお米を提供するため、目の前精米を勉強しに当時大阪の繁盛店へ夫婦で見学へ。2店舗目となる松縄店を開店。香川県初の、目の前精米を行う。 玄米で仕入れ、自分の手で精米・ブレンドをするという新しい試みの搗きたて提供サービスをはじめ、家庭にあわせ少量(1kg~)販売等も始める。「自分の目で見て、お客様にきちんと説明したい」という正隆の想いを叶える店舗となる。
五代目 三千博・友佳
五代目夫婦出産・子育てのため、業務の効率化、家族時間の確保を考慮し、塩上・松縄の2店舗を閉店。 四代目五代目一丸となっての質の高いサービス、スピーディな配達、広い店舗で豊富な品揃え、在庫管理を 行うため、松島店に移転。家族で楽しめるお店を意識し、精米の待ち時間に子どもが遊べるようキッズルームを完備。四代目豊子がお惣菜、ばら寿司、赤飯、おはぎ、団子作りを開始。
2019年、五代目ブランド885による超おにぎり屋をスタート。子ども向けのお米講座や土鍋の炊き方講座、大学での講演も行う。
2021年、より上質なサービスの提供、超おにぎり屋販路拡大のため、塩上町に移転。入店しやすく、老若男女がお米を楽しめる米屋専門店を目指す。